放射線治療を経て

宮崎 なおき

いやぁ💕

まいった💕まいった💕

8月から9月6日まで、放射線治療を受けていたのですが、

この副作用がキツかった💕

副作用を感じ出したのは、9月1日の夕方からでした。

なんか気持ち悪さというか、違和感を感じ出したんです。

すると、9月2日には、ぐったりして吐き気がしてきた・・・

9月3日には、下血が始まり・・・

9月4日からは、リハパン使用となり・・・

9月5日からは、パットも使用となり・・・

そこから、食事が摂れずに体重減少がハンパなく・・・

起き上がることもできずに、日中のほとんどをベット上で過ごすか

トイレで過ごす状態で・・・

筋力も体力も気力も全て奪われていく恐怖・・・

9月11日には、MRIの検査をする予定でしたが、それもキャンセル・・・

しかし💕

9月13日に下血が止まる。

9月14日に昨日より、身体が少しだけ楽なことを感じたので、

ピークを超えたと確信する💕

9月15日にリハビリの先生や看護師さんたちと今後の事について

意見交換をして、筋力と体力の回復をどうやって目指すか決める💕

9月16日から気合い入れて階段登りやら、ストレッチやら開始💕

リハパンは着用していますが、パットは取れた💕

毎月、家族で出かけることを心がけてきましたが、流石に9月は

無理そうですが、10月には、沖縄に行く💕

絶対に行く💕

ここに行くために、少し無理してでも、早めのリハビリ開始💕

さぁ💕

負けずに💕

頑張ります💕

会員紹介
宮﨑なおき
宮﨑なおき
政治と介護を紡ぐ会 創始者
私は下記のスローガンを達成するためにも、この部の立ち上げと運営に積極的に取り組んでいます。

明日、急に介護の世界は変わらない
2025年までに、介護を変える力もない
でも諦めたら厳しい状況は変わらない
だから2040年までには、介護を変える

国が無視できないような存在に、我々介護職はならなければ待遇は上がりません。このようなスローガンにしたのか。

逆に言うと、国が無視できない存在になった時に、介護に関わる人の待遇は変わります。
それは結果的に介護に関わる全ての方の待遇につながります。

私たちはムーブメントを起こしていかなければなりません。
1人では力が及ばなくても、仲間が増えれば力になる。

一燈照隅万燈照国


を目指して活動し続けます。

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