美濃市議会議員 渡辺あきのりです

あきのり渡辺

はじめまして!ブログも初めて書きます(しかも、担当日は昨日でした💦)。

本日、5/24誕生日で50歳になりました。

簡単ですが自己紹介と一緒に、なぜ、政治家を目指したかを今回は書きたいと思います。

私は岐阜県美濃市生まれです。母方の祖父が長い間美濃市議会議員をしておりました。両親が離婚し、母方の祖父母にお世話になっているときから、祖父のことをとても尊敬していました。そんな私ですが、体育の教師になりたく、仙台大学体育学部に入学します。毎日野球に明け暮れていました。準硬式野球部に入部し、東北選抜で全国大会に出場。準優勝することもできました。あとは体育の教師になって、高校野球の監督になり、夢の甲子園を目指そう、そう思っていましたが、当時の教師枠はとても狭く、大学4年生の時に急遽進路を変更しました。幼児体育の会社に面接に行ったり、消防士を何か所も受験したりしましたが、最終的には絶対倒産しないだろうという安易な考えで仙台市にある病院の介護リハビリ係という仕事に就きました。私はリハビリをやる係だと思っていましたが、完全なる介護職でした。排泄介助を初めて体験し、3カ月間ほど食欲をなくしたことを覚えています。これが私の介護との出会いでした。この出会いから、私は今まで一度も介護がつらいとか苦しいとか思ったことがなくいれるのは、祖父母のお陰だと思います。それは、利用者さんに接するとき、祖父母への恩返しのように感じるからです。しかし、介護の仕事をしていて、一番苦しかったのは当時、金銭面でした。私は結婚をしており(今は独身ですが)、子供が2人いました。4人家族で生活するために私がもらっていた給与は年収370万円が会社員時代の最高額でした。元妻にはたいへん苦労をかけました。介護福祉士をとり、介護支援専門員(ケアマネジャー)にもなり、本当に人の役に立てることに喜びを持っていたにもかかわらず、自分の家族を幸せにできる自信を持つことができませんでした。これが一番つらかったことです。そして、岐阜県美濃市にUターン。岐阜に住みだすと独立するしかないという方向に人生が動き出します。もともとALS(筋萎縮性側索硬化症)の方のケアマネジャーを何人も経験させていただいていたこともあり、重度の障がいがある方々の在宅支援は本当に困っていることを知っていました。そこで始めた事業が、訪問介護事業でした。それから今年で11年目になります。この事業をする上で、様々な利用者さんを救えない現状にさいなまれます。様々な工夫もたくさんしましたが、会社でできることには限界があります。そのような中、いつか自分も政治家という気持ちが芽生え、地域の方からもいつ出るんやという声をかけていただき、離婚をきっかけに人生をダイナミックに変えよう、そして、市民、国民のお役に立てる人生を歩もう、そんな想いで2023年4月の統一地方選に出馬、初当選させていただきました。まだまだ未熟者ですが、人生をかけてやってもいいという思いは変わりません。この政治と介護を紡ぐ会の皆様と一緒に歩んでいきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

会員紹介
渡辺あきのり
渡辺あきのり
岐阜県-美濃市議会議員
美濃市議会議員の渡辺あきのりです。よろしくお願いいたします
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