在宅介護の闇
梅田みつよです!
在宅介護の限界値とは
私がまだ施設で看護師として勤務していた時のことです。
50代、脳梗塞、半身麻痺の男性が入所されました。
やっと決まった施設入所契約の時のことでした。奥様が泣きながら…。
「私はもう疲れ果てました。もう夫に付き合いきれません。死んでほしいと思ったこともありました。私は本当にダメな妻です。許してください。」
私は冷静に耳を傾けました。
「助けて」と言える社会を
そんな中、気がついたんです。
「遅かった」ということを。
「もっと早く介入」されていたら、と。
奥様には専門知識はないわけで、いわゆる介護の素人です。何をどうしたらいいのか、という事を知らぬまま急に夫が病に倒れ、退院後、在宅介護が始まったのです。誰にも助けてと言えなかった。そんな社会の構図を目の当たりにしました。
働きかける力が周囲になかったのか。
助けを求めることも出来なかったのか。
そこも謎が解けました。
その男性は、大きな体で丈夫な骨、いわゆる筋肉質で病に倒れてもその体つきは大変な迫力でした。健常な半身で暴力を振るいました。私も、髪を引っ張られ、足で蹴られ、抱えた際に背中を叩かれるなど耐えながら現場に対応しました。奥様は持たないだろうと思いました。
奥様は、介護をやらなかった、と言っていたのですが、これは、やれなかったというのが正解だったと思います。しかし、入所された頃には手遅れで、どうしても施設のご飯を手で払いのけてしまい食べてくれませんでした。味の濃いもの、美味しいものでなければ全て却下でした。
ご本人が、病になる前から好んで食べていたものしか食べないという強い主張と暴力で、現場職員も傷が増え、施設長も困り果て、やむを得ず、食料を奥様に持参していただくことになりました。しかし、どれも嚥下に支障があるものばかりでリスクが高すぎました。それを美味しいと食べ、現場はヒヤヒヤしたり、胸を撫でおろすような気持ちになったりと、紆余曲折したことを思い出します。この方の予後はよろしくありませんでした。
このケースから読み取れることは、ここまでたどり着くまでには、いくつかの通過点があったはずです。
医療から介護に変わるときに必要なもの
まさに「在宅介護の闇」はここではないかと思いました。
医療から切り離される時、それが、ある日急にやってくる、ではなく、ステップを踏んで準備を整えて、そうして在宅介護を始めることが必要なのです。
ここに通過点として、普段の生活、生活習慣、疾病の発見、定期健康検査、発症時の対応、入院、退院調整、包括支援センター、その後、ケアマネジャー、事業所や施設などが登場するのですが、きっとどの通過点でも最善を尽くされたと思いますが、私が着目したのは、ご本人はその通過点で、未だに自分の疾病に目を背け向き合えていないことと、閉じた心を開けていないこと、という点でした。
一方で、介護者の妻の状態をみてみましょう。これはプロである私たちは、冷静に状況を介護者に説明し、介護者の心も救う必要があった、という点です。
しかし、それは誰の仕事なのか?という点も見逃せません。
つまり、
いくつかの通過点があったにも関わらず、それらが行えていなかった、ことが最大の盲点ではないかと思いました。
このケースはレアなケースではありません。
できる介護職とは
さて、話を変えて
介護が必要な状態だと判断されると、事務的な流れ作業によって介護保険手続きが行われます。書類を出して調査を受ければ、介護保険という認定を受けられます。
書類によってなされた手続によって、急に生身の人を支えるという仕事が始まるので、やはり、介護とは簡単ではないことを前提にお話ししますと、事務手続きを受ける研修や教育はルールを覚えるだけなので、誰でも受けてその通りに行うことができますが、生身の人の心と体を支えるための、研修、教育、これは充実していますか。
私は、このところの介護現場はあまりに現場に集中しすぎて、教育に割かれる時間があまりに少なすぎると思っています。教育を受けられる仕組みを介護職の皆さんが堂々と言えない環境そのものが、介護の低下に繋がる原因のひとつではないかと考えています。
「できる介護職」とは、その両方をバランス良く発揮できることではないでしょうか。
教育環境とモチベーション
私たちは、必要な介護を提供するために、必要な教育を受ける権利があります。前述したように、それを阻害して利益重視で職員を働かせるだけの環境下にある会社はよろしくありません。より良い労働環境を守る、より良い介護を実現する、そうなりたいと思いませんか。
つまり、
待っているだけではやってこないのです。
少しだけ前向きに、少しだけ一歩を踏み出す勇気、その勇気ここで持ちませんか。
私たちは24時間、責任の伴うSOSに真摯に向き合っています。
介護は、優しさと奉仕の気持ちで頑張ることだけが役割ではありません。ここで仲間になった皆さんと共に、この介護保険制度の未来を共に考え、先頭になって国へ声を上げていきませんか。
秋のいい風が入ってきます。
皆様も風邪を引かず、流行り病にかからず、元気に10月を過ごしましょう。
それではまた~!
[ad1]
議員として常に町民の皆様と町、そして県へ国へ、少しでも皆様の架け橋となるべく奔走して参りました。
「声なき声に耳を傾ける事」
が私の政治姿勢です。
現在、白川町の高齢化は顕著であり、生産年齢人口が減少、少子高齢化社会となっています。この少子高齢化に対する施策を充実させ、町民の皆様が安心して暮らせる白川町を作っていかなくてはなりません。その為にも、私自身が常に精進していく所存であります。
梅田みつよは皆様とともに成長します。
今後も、各地の現場に足を運び、皆様と連携をしながら問題解決に向い、安全で安心できる白川町を未来につなげていくための活動を続けていきたいと思います。
引き続きこれまで築いていた人脈や経験を活かして全力で取り組んで参ります。